”治療を試みたり、病人を癒したりする医者は、勢い、その治療が自己の手当によったのであると信ずる傾向がある。しばしば医者は自分が用いた薬によって、すべての病人を治したといって自慢している。しかしながら実際彼らにたずねたいことがある。それは彼らは同時に病人に手当を施さなかった場合を試みたかどうかということである。何故かというに、もしそうでなかったならば、癒やしたものは果たして医薬であったか、それとも自然であったかどうして知ることができよう。(中略)従来人々は瀉血による肺炎の治療を極めて有効であると信じておったが、比較実験の結果によれば、これは単なる治療上の錯覚に過ぎなかったのである。” 実験医学序説(クロード・ベルナール)
歯科臨床の場合には、疾病治療だけでなく機能回復という側面もあることや、そもそもどこから疾病(異常)とするかという基準が、数値などによって明確に区別することが難しいことが多いので、薬理学とは少し状況が異なると思います。ただ、一つ一つの処置の必要性や妥当性を常に意識する必要がある、という点では共通しているのではないでしょうか。その検証のためにも、精度の高い検査と記録の必要性を改めて感じました。